農業を始めるきっかけ話その2-原因不明の症状がわかるまで

前回のお話

 

脳脊髄液減少症とは、何らかの原因で頭や頸に衝撃を受けたことで脳脊髄液という液が漏れ、 

頭痛や吐き気など様々な症状が出る病気です。 

 

 

私は、専門学校時代に2回立て続けに交通事故に逢い、その後体調不良に悩みました。 

 

 

 

最初の職場で立てなくなるほどの頭痛と吐き気に見まわれ、病院を受診し、メンタルの診断を受けました。 

 

 

治療を続けるも効果はなく、日々頭痛と吐き気、めまいなどに襲われ、 

日常生活も厳しくなるほどの状態になりました。 

 

 

 

 

病院を転々としたけど、、

 

病院に通えど、自宅療養せど、原因不明の症状は良くならず。 

 

原因不明の症状を突き止めるべく、病院を転々としました。  

 

その時に不思議に思ったのですが、他の病院で受診したことを告げずに診断を受けると、 

病院によって診断名がバラバラだったのです。 

 

 

 

ある病院に行けば「対人恐怖症」、別の病院に行けば「自律神経失調症」、 

また別の病院に行けば「頸の変形によるもの」と言った具合にです。 

 

 

 

 

 

自分のできることから

 

病院を転々とし、何をどうすれば自分の症状が良くなるのかわからず悶々としながらも 

体調に合わせながら、自分のできることを少しずつ探していきました。 

 

 

最初は、家事全般。 

ただ寝ているだけでもダメだと思い、家事をやり始めました。

炊事、洗濯、掃除。 

 

 

症状がひどくなればすぐに横になり休んで、

よくなったらまた家事再開。  

 

 

 

社会への第一歩

 

そんな日々を過ごしていくうちに、体の調子も少しずつ良くなってきたので、 

今度はパートで働き始めました。  

 

 

スーパーの商品陳列や発注作業など。 

 

 

休職してから約半年。家族以外の人とはほとんど接触しなかった(できなかった)ので、

人と話したり人前に出ることに緊張したことを覚えています。 

 

 

よい上司、よい仲間、よい環境に恵まれて、働くのが楽しかった。 

短時間の勤務でしたが、あのときの経験は今でも糧になっています。 

 

 

そのパートの仕事を1年半近くさせていただいた後、体の調子もだいぶ良くなり、

症状も少しずつ治まってきた頃、「今なら常勤で働けるかもしれない」と 

言語聴覚士として常勤で働き始めました。 

 

 

 

 

症状の悪化

 

 

常勤で働き始め、一人暮らしも始めたことで、一日一日があっという間に

感じるほど活動していました。 

 

 

その職場では、言語聴覚士を始めて雇用したこともあり言語聴覚士業務の立ち上げや

デイケアの利用者さんの送り迎え、食事中の見守りや介護の補助など

休む暇もないくらい忙しい環境でした。 

 

 

朝から夜遅くまで働き、最初は首が重苦しい感じがだんだんひどくなってきて、

あの原因不明の症状が悪化してきました。 

 

 

今振り返れば、疲れもあったのだろうと思います。 

それでも、「訳あり」の私を常勤で雇用してくれた職場だったので、

気合で働き続けました。

 

 

 

東日本大震災がきっかけで

そんなある日、あの東日本大震災が起きました。 

 

 

仙台市の沿岸に住んでいた私の自宅は全て流され、家族と再会できたのは1週間後でした。 

どこに住めるかも今後の生活がどうなるかもわからずに1日1日を過ごしていた中で、 

それまで気合でやっていた身体に異変が起き始めていました。 

 

 

再び頭痛がひどくなり、吐き気がひどく、物が食べれなくなり、体重が激減。 

手足のしびれも日に日にひどくなっていきました。 

 

 

 

ある日仕事から帰ってくると手足がものすごく重く、目も視界の一部が欠けているように見えました。 

 

 

「疲れているのかな」とその日は早く床についたのですが、 

次の日起きると片方の手足が思うように動かなくなっていました。 

 

 

 

すぐさますぐ近くの病院を受診し、脳の検査をしてもらいました。 

脳梗塞や脳出血ではなさそうだ、ということになり、後日神経内科の先生に診てもらいました。 

そこでわかったのが脳脊髄液減少症。 

 

 

 

しかもどうやら専門学校時代の交通事故が原因なのではないか、とのことでした。

そのまま別の病院に転院し、3週間治療を受けることになりました。 

 

 

 

交通事故にあってからかれこれ5年の月日が流れていました。

治療を開始してからは、それまで悩まされていた頭痛や吐き気は改善し、少しずつ快方に向かいました。 

 

 

 

しかし、脳脊髄液減少症の治療を終えた後も長時間立ち仕事で動き回ると手足のしびれや頭痛、 

吐き気が出てしまい、完全に症状が解消することはありませんでした。 

 

 

 

再度、病院で受診し、再入院を勧められましたが、今度は全く症状が改善されないどころか、 

点滴治療で具合が悪くなってしまいました。

 

 

 

神経内科の先生には「点滴治療で具合が悪くなるので、何か違うものがあるのではないか」と 

訴えましたが、「私の言うことに文句があるなら治療するな」と追い出されました。 

 

 

 

「結局、自分のこの症状は何だったのか」と途方に暮れていると、とある知り合いに 

交通事故などで私と同じような症状に悩まされている人を多く診ているという病院を紹介してもらい、 

受診してみることにしました。 

 

 

 

そこでは医者の先生が本当に丁寧に診察をしてくれました。 

そして、もう一つの原因がわかったのです。 

それは頸の変形でした。 

レントゲン画像ではわかりずらい、医者が触診しないとわからないくらいの微妙なもの。 

 

 

 

長年、きちんと治療せずにそのままにしていたことで、少しずつ少しずつ 

ずれてきたのではないかということでした。 

 

 

 

そして、治療は先生から鍼灸院を勧められ、そこで行うことにしました。 

 

 

 

通い始めてからは日に日に症状が良くなり、今ではほとんど症状は消えました。

疲れが溜まっているときや気圧の変化?(天気が悪いとき)には

症状がひどくなりますが、日常生活が送れぬほどのものではありません。 

ただ長年放置した首の歪みは解消せず、今後は歪みがひどくならないようにしていく対処療法が 

中心と言われています。 

 

 

 

私が専門学校時代に交通事故に逢い、治療に至るまでの長い期間に感じたこと、 

周りからの眼や態度、そして今に至るまで支えてくれた家族や友人。

 

 

 

これらの経験が私を農業に導いてくれました。

その話はまた今度。