「F1種子」という言葉を聞いたことがありますか?
もしあなたが有機栽培やオーガニックといったキーワードに関心があるなら、「F1」と「固定種」という言葉がセットで議論されているのを目にしたことがあるかもしれません。
中には、「F1の種から育った野菜を食べると不妊になる」「F1種子は身体に悪い」といった、ちょっと怖い噂を耳にしたことがある方もいるのではないでしょうか。
「F1種子は危ないらしいけど、そもそもF1って何?」「なぜ、そんな噂が立っているの?」
今回は、そんな疑問を抱えるあなたのために、F1種子にまつわる様々な話を掘り下げていきたいと思います。
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その前に…植物はどうやって増えるの?
F1種子の話に入る前に、少しだけ植物の増え方についておさらいしておきましょう。
小学校の理科で習ったように、多くの植物は花を咲かせ、そこに花粉がつき、受精して実を結び、その実に含まれる種子によって子孫を残します。
植物が受粉する方法には、大きく分けて「自家受粉」と「他家受粉」の2つがあります。
- 自家受粉: 同じ株にある花のおしべから出た花粉が、その花のめしべの先端(柱頭)につくこと。
- 他家受粉: ある株の花粉が、別の株のめしべにつくこと。
身近な植物で例を挙げると、豆類やオクラ、レタスなどは主に自家受粉で増えます。トマトやナスは自家受粉と他家受粉の両方を行い、キャベツや大根、カブなどの葉物野菜や根菜の多くは他家受粉が中心です。
近交弱勢と雑種強勢:植物の不思議な力
さて、ここで少し難しい言葉が出てきます。「近交弱勢」と「雑種強勢」です。
近交弱勢とは、主に自家受粉を繰り返す植物に見られる現象で、遺伝的な多様性が失われることで、生育が悪くなったり、病気にかかりやすくなったりと、植物の活力が低下することです。
一方、この活力が低下した系統同士をあえて掛け合わせると、なんと子どもの世代で親よりも生育が旺盛になったり、収量が増えたりする現象が起こることがあります。これが雑種強勢です。
雑種強勢は、遺伝的に近いもの同士よりも、遠いもの同士を掛け合わせた方が強く現れる傾向があると言われています。
実は、この雑種強勢は植物だけでなく、動物にも見られる現象です。例えば、豚肉としてよく見かける「三元豚」は、3種類の異なる品種を掛け合わせた一代雑種で、まさに雑種強勢を利用しています。また、最近ペットショップで見かけるチワワとダックスフントの交雑種である「チワックス」なども、雑種強勢の例と言えるでしょう。
少し難しい話でしたが、F1種子の理解にはこの「雑種強勢」という考え方がとても重要になります。
一代交配(F1)の発展:安定した食料供給のために
自家受粉ばかりでは植物の活力が低下してしまう…これは育種の現場における大きな課題でした。そこで、常に安定して雑種強勢の効果を得るために考え出されたのが、「一代交配」という方法です。
これは、特定の性質を持つように育てられた、いわば「純粋な血統」の親株同士をその都度掛け合わせることで、雑種強勢を発揮する、均一で能力の高い一代限りの種子を作り出す技術です。この一代交配によって生まれた種子が、一般的に「F1種子」と呼ばれています。
F1種子の研究は、安定した食料供給を目指すために世界中で進められてきました。どの組み合わせで雑種強勢が強く現れるのか、病気に強く、収穫量の多いF1品種を開発するために、様々な植物の組み合わせが試されてきました。
現在では、私たちが普段スーパーで目にする多くの野菜や果物の品種で、この雑種強勢の特性が利用されています。しかし、その分子レベルでの詳しい仕組みは、まだ完全に解明されているわけではなく、現在も研究が進められています。
F1の種を食べると不妊になる?噂の真相に迫る
さて、ここからが本題です。有機栽培や自然栽培に関心のある方を中心に、「F1種子の野菜を食べ続けると不妊になるから危ない」という噂が根強く存在します。一体なぜ、このような話が出てきたのでしょうか?
調べてみると、この噂の背景には、F1種子の中には「雄性不稔(ゆうせいふねん)」という性質を持つものがあり、それが「子孫を残さない植物を食べることは、人間の不妊に繋がるのではないか」という考えに結びついた可能性があるようです。
この噂が広まるきっかけの一つとして、固定種や在来種の種子を扱う種苗店「野口のタネ」さんの記事が挙げられます。その記事の中でF1種子に対して警鐘を鳴らしている部分があり、それが一部で「F1の野菜を食べると不妊になる」という解釈を生んだと推測されます。(気になる方はぜひ「野口のタネ F1」で検索してみてください。)
ただし、ここで注意していただきたいのは、野口さんご自身は、雄性不稔とヒトの不妊や生殖異常について直接的に言及しているわけではないということです。野口さんが警鐘を鳴らしているのは、F1品種が世界的に普及することで、固定種や在来種の種子が減少し、生物多様性が失われることへの懸念です。
「雄性不稔」って何?
では、「雄性不稔」とは一体何なのでしょうか?
ごく簡単に説明すると、雄しべが正常な花粉を作ることができない、つまり生殖能力がない状態のことです。雄性不稔の個体は、自然には受粉できないため、種子を作ることができません。
この雄性不稔の性質は、F1種子を作る上で非常に便利な特性として利用されています。通常の植物でF1種子を作るためには、意図しない自家受粉を防ぐために、親株の雄しべを一つ一つ手作業で取り除く必要があるのですが、雄性不稔の親株を使えば、そのような手間を省き、効率的に他家受粉させることができるのです。
なぜ雄性不稔がヒトの不妊と結びつけられたのか?
それでは、なぜこの雄性不稔という植物の性質が、ヒトの不妊という話に繋がってしまったのでしょうか?
その背景には、ミトコンドリアの異常によってマウスが不妊になったという研究報告があったことが考えられます。
雄性不稔、つまり花粉を作れないという性質は、植物の細胞小器官であるミトコンドリアの遺伝子の働きが関わっていると言われています。(この詳しいメカニズムを説明すると、それだけで一つのブログ記事が書けてしまうほど奥深い話なので、今回は割愛します。)具体的には、「花粉を作らない」という遺伝子を持つミトコンドリアと、そのミトコンドリアの遺伝子を抑える働きを持たない核を持つ植物が雄性不稔になるのです。
一方、マウスを使った実験では、生殖能力を下げるような異常なミトコンドリアを通常のマウスに導入した結果、そのマウスの生殖機能が低下したという報告がありました。
この「雄性不稔はミトコンドリアの遺伝子に関わる」「異常なミトコンドリアはマウスの生殖機能を低下させる」という2つの点が結びつき、「雄性不稔のF1の野菜を食べると、その影響でヒトも不妊になるのではないか?」という推測が生まれたと考えられます。
しかし、重要なのは、マウスの実験は異常なミトコンドリアを直接細胞に注入したことによって引き起こされたものであり、口から摂取して異常が起きたわけではないということです。したがって、植物の雄性不稔とマウスの実験結果を直接結びつけて、F1種子の野菜を食べることがヒトの不妊に繋がると考えるには、科学的な根拠が乏しいと言わざるを得ません。
F1種子は子孫を残せない?もう一つの誤解
F1種子に関してよくあるもう一つの誤解が、「F1種子は子孫を残せない」というものです。
結論から言うと、F1種子から育った植物も、多くの場合、子孫を残すことができます。
例えば、私の畑でもよくあるのですが、前年に育てたF1品種のトマトなどが、こぼれた種から自然に発芽して育ち、花を咲かせ、実をつけることがあります。
では、なぜ「F1種子は子孫を残せない」という誤解が生まれたのでしょうか?
それは、F1種子から育った植物(F1世代)の種子(F2世代)を採取して育てると、親であるF1世代とは異なり、形や味、収穫量などにばらつきが出ることが多いからです。F1種子が持つ雑種強勢の効果は、一代限りで終わってしまうため、F2世代以降ではその効果が薄れてしまうのです。
このF2世代のばらつきが大きいことから、「F1種子は種ができない」と誤解されてしまったのではないかと推測されます。
ちなみに、自然栽培系の書籍の中には、「F1種子でも3〜5年かけて自家採種を繰り返すと、固定種のような性質に戻る」と書かれているものもあります。これは、自家採種を繰り返す中で、F1が持つ多様な遺伝子の中から、特定の環境に適応した性質を持つ個体が選抜されていくためと考えられます。
まとめ:F1種子を過度に恐れる必要はない
いかがでしたでしょうか?
F1(一代交配種)は、雑種強勢という自然の力を利用して、収量が多く、病気に強く、品質が安定した作物を効率的に生産するために開発された技術です。私たちの安定した食料供給を支える上で、重要な役割を果たしてきました。
F1種子や在来種・固定種については、それぞれの特性やメリット・デメリットがあり、様々な議論が交わされています。しかし、今回の解説を通して、F1種子をいたずらに危険視する必要はないということがご理解いただけたのではないでしょうか。
ちなみに、私たちMITUでは、固定種・在来種の種子も、F1種子も、自家採種の種子も、様々な種類の種子を使っています。私たちが種子を選ぶ基準は、畑の土壌や気候といった環境に合うかどうか、味が良いかどうか、育てやすいかどうか、そしてお客様のニーズなど、多角的な視点からです。
大切なのは、F1種子についても、固定種・在来種についても、それぞれの特徴を正しく理解し、自分自身の価値観や状況に合わせて賢く選択することだと思います。