一人で農業を営むようになってから、一日の大半が現場作業で終わります。
土と向き合い、作物と対話する時間は至福ですが、どうしても社会や業界の動きからは切り離されがちです。
先日、そんな日常から一歩踏み出し、久しぶりに地域の農業関連の会議に参加してきました。
あまりに長らく顔を出していなかったため、会場の空気は「あいつ、誰だっけ?」という微妙な雰囲気。
しかし、そんな視線はどこ吹く風。
私は今の地域農業がどのような熱量で動いているのか、その「肌感覚」を探るべく、静かに耳を傾けてきました。
そこで見えてきたのは、数年前から叫ばれている「農業大淘汰時代」が、いよいよ抽象的なスローガンではなく、私たちの目の前の「産直棚」にも具体的な異変として現れ始めているという現実でした。
Table of Contents
1. 産地崩壊と「多様性」の喪失
かつて、地元の直売所やスーパーの産直コーナーは、宝探しのような楽しさがありました。
ベテランの農家さんたちが、それぞれのこだわりで多種多様な品目を出荷し、棚には彩りが溢れていたものです。
しかし、その光景が今、劇的に変わりつつあります。 長年地域を支えてきた高齢の生産者たちが次々とリタイアし、出荷数が激減。残った産地でも、高齢化で管理が行き届かなくなったのか、「品質が落ちた」という厳しい声が消費者から届くようになっています。
一方で、新しく参入する生産者は、効率を重視した大規模経営が主流です。
結果として、作付けは「単品目〜3品目」程度に絞り込まれます。
かつてのバラエティ豊かな棚は姿を消し、特定の品目がドーンと大量に積まれる「画一的な棚」へと変貌を遂げつつあります。
私の農園も例外ではありません。経営効率を考え品目を絞っているため、この冬などは人参ばかりを大量に出荷しているような状況です。この「多様性の欠如」は、消費者の選ぶ楽しみを奪い、結果として産直全体の魅力を引き下げているのではないか。そんな危惧を抱かざるを得ません。
2. 「値上げの正論」と「消費者のリアル」の深い溝
会議の大きなテーマの一つは、やはり「価格転嫁」でした。
肥料や資材の高騰、燃料代、そして物流コストの上昇。
生産者やJA担当者は、「これだけのコストがかかっているので、非常に申し訳ないけど値上げは理解してほしい」と話します。
経営者として、その論理は痛いほどよく分かります。先輩経営者からも「値上げを恐れるな」と叱咤激励を受けます。しかし、いざ直売所の現場に立って消費者の動きを見ていると、そこには数字上の計算だけでは埋められない「深い溝」があることに気づきます。
今の日本は、スタグフレーションの真っ只中にあります。 食料品だけでなく、光熱費も日用品もすべてが値上がりする中で、消費者の手取り賃金や年金受給額は増えていません。彼らにとって、野菜の「数十円の値上げ」は、生産者が思う以上に重い決断なのです。
3. 「150円の壁」に隠された、売れない時代の予兆
現場で見えてくる具体的な数字があります。 例えば、地元で150円前後で出している時はそこそこ動く商品が、170円、180円と値段を上げた途端、品目によってはパタリと動かなくなる。
生産者が「資材高騰だから仕方ない」と強気の価格を維持しても、消費者が「高すぎるから今日は買わない」という選択をすれば、残るのは大量の廃棄と、売場の鮮度低下だけです。 「ここは売れないから撤退だ」と見切りをつける生産者も出始めています。
「資材が高騰しているのに、なぜ価格を据え置くのか?」 最近、周囲からそう問われることも増えました。しかし、私はこの閉塞感の中で、値上げだけが唯一の正解だとは思えないのです。価格を上げる努力はもちろん必要ですが、それと同時に「消費者の財布の紐がここまで固くなっている状況で、他にできることはないのか」を問い続ける必要があると感じています。
4. 変化を受け入れ、淡々と「個」を磨く
ネット上の記事やSNSの投稿で、「近い将来、産直や直売所すらも“売れない時代”がやってくる」という予測を目にしました。
今回の会議を経て、その足音は想像以上に近くまで来ていると確信しました。
産地が淘汰され、消費者が選別を強める時代。
これまでのように「出せば売れる」という甘い環境は、もう戻ってこないでしょう。
では、私たちはどうすべきか。 悲観して立ち止まるのではなく、かといって無謀な値上げに突き進むのでもない。
私は、自分にコントロールできる範囲のことに集中しようと考えています。
徹底したコスト削減なのか、価格以上の価値を感じさせる品質なのか、あるいは消費者の生活に寄り添う新しい届け方なのか。
正解はまだ見えません。それでも、次に来る「売れない時代」を見据えながら、明日からもまた畑に出て、淡々と、そして鋭く、自分の農業を研ぎ澄ませていこうと思います。





