2011年3月11日、あの日から2019年で8年の歳月が流れました。テレビでは、東日本大震災の記憶を未来へと繋ぐための特集が今もなお組まれています。私たちMITUが拠点を置く仙台市沿岸部も、未曾有の津波によって甚大な被害を受けた地域です。震災から8年が経過した今、この地の現状と、私たちが未来に向けて考えていることを共有したいと思います。
Table of Contents
変貌した沿岸の風景:巨大な構造物と静けさの中で
震災から8年、私たちの地域では、海岸線に沿って巨大な堤防が築かれ、内陸側には名取市との境界から七北田川に至るまで、十数キロメートルに及ぶかさ上げ道路が建設されました。かさ上げ道路は既に完成し、震災前の風景とは一変しました。かつては松林が生い茂り、海が身近に感じられた場所も、今ではかさ上げ道路によって分断され、その海側と内陸側ではまるで異なる場所にいるような感覚を覚えます。
復旧・復興の工事はほぼ完了し、震災後数年間行き交ったダンプトラックや重機の数は減り、工事関係者の姿も見られなくなりました。かつての喧騒が嘘のように、私たちの地域は静けさを取り戻し、地元の人々が行き交う穏やかな日常が戻りつつあります。
時間がもたらす変化:揺れ動く人々の想い
テレビの報道や地元の方々の話を聞く中で、「ハード面の復旧は進んだものの、人々の心の復興はこれからだ」という言葉を何度も耳にしました。また、「震災直後と比べ、時間が経つにつれて人々の気持ちは変化していくものだ」という意見も多く聞かれます。
これは、実際にこの地に身を置く私(佐藤)自身が強く感じることです。かつて、「海が怖いから」「二度と悲劇を繰り返さないために」と二重の防波堤建設を強く望んでいた人々が、時が経つにつれ「あれができてから海が遠くなった気がする。なぜあのようなものを建てたのだろうか」と疑問を抱くようになったり、かつて「いつか地元に戻りたい」と強く願っていた人が、仮設住宅で築かれたコミュニティに定住し、「この場所でずっと暮らしていきたい」と新たな生活を選択したりする姿を見てきました。
震災直後に抱いていた思いや考えていたことが、時間の経過とともに変化していくのは自然なことなのかもしれません。ある心理学者は、「過去の出来事を客観的に捉え、一定の距離を置けるようになった時、その出来事は生々しい記憶ではなく、語り継ぐことのできる記憶へと変わる。そして、語れる記憶となったものは、その後の経験や感情によって変化していく」と述べています。
「風化させてはいけない」から「教訓として生かす」へ
震災後、多くの場面で「震災を風化させてはいけない」という言葉を耳にしました。しかし、人の記憶は時間とともに薄れていくものです。あの震災で経験したことは、私たち自身の記憶として深く刻まれている一方で、年月とともにその鮮明さは失われていくでしょう。
東日本大震災の悲劇や出来事を風化させないことが、将来起こりうる災害に対して新しい世代の人々が備える上で本当に役立つのか、正直なところ、私には分かりません。
以前、ある方が話していたことが強く印象に残っています。「私自身(東日本大震災を経験した者)が、関東大震災や阪神淡路大震災、雲仙普賢岳の噴火、広島の集中豪雨といった過去の自然災害を常に意識し、風化させないように努めているかというと、実際には記憶の中で薄れていっている。テレビで阪神淡路大震災から〇〇年という報道を見ると、もうそんなに時間が経ったのかと感じる。だから、東日本大震災を経験していない人からすれば、それと同じような感覚なのかもしれない」と。
私たちが経験し、学んだことを単に風化させないように努めるのではなく、それを未来への「教訓」として語り継いでいくことの方が、より重要なのではないかと考えています。
これからに向けて:変化する課題と新たな挑戦(2025年追記)
震災から13年が経ち、沿岸地域を取り巻く課題も少しずつ変化してきました。沿岸住民の高齢化、所有者不明や管理放棄された農地の荒廃、農地の資材置き場化など、新たな問題が顕在化しています。
私たちMITUは、震災後から地域交流を目的としたイベントやマルシェなどを開催してきました。しかし、私が借り受けている農地の多くで、いまだに瓦礫(特にガラス片など)が多く見られることから、大規模なイベントの開催は難しい状況です。また、開園当初は2名体制でしたが、現在は1名体制となり、沿岸部の土壌では栽培できる野菜の種類も限られています。
このような現状を踏まえ、近年では仙台沿岸地域の気候や土壌環境に適した作物に栽培を絞り込むことにしました。イベントは、就労支援施設との協働という形でのみ実施しています。農業生産に注力することで、当園を利用する就労支援施設や、いわゆるグレーゾーンと呼ばれる方々の工賃を少しでも向上させることを目指しています。マルシェについても、新型コロナウイルス感染症の流行以降、農福連携している複数の施設からの要望と、当園の作物栽培の絞り込みにより、今後は開催しない方針です。
2025年からは、ナスとニンジンを中心とした生産農家として新たなスタートを切ります。ナスやニンジンを通して、仙台沿岸の農業について少しでも多くの人に知っていただくとともに、畑でのイベントを通じて震災の教訓を語り継ぐ活動を続けていきたいと考えています。震災の記憶を風化させるのではなく、未来への糧となる教訓として、この地で生きる人々と共に歩んでいきたいと思います。