つい先日、2019年から2020年の冬にかけて記録的な暖冬となり、関東以西の地域では大根やキャベツなどの冬野菜が豊作を迎えたというニュースを目にしました。
しかし、豊作は必ずしも喜ばしいことばかりではありません。市場では野菜が安値で取引され、中には収穫されずに畑で廃棄されるものも少なくなかったといいます。
この報道に触れた際、「捨てるくらいなら、子ども食堂などに寄付すれば良いのではないか」という意見も一部で上がったそうです。
今回のブログでは、この「豊作貧乏」と呼ばれる現象の背景にある構造的な問題と、安易に語られがちな「野菜の寄付」という選択肢について、少し深く掘り下げて考えてみたいと思います。
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なぜ豊作が農家を苦しめるのか?:複雑化する価格変動のメカニズム
近年、私たちの農業を取り巻く環境は、かつてないほど不安定さを増しています。仙台を例にとっても、2017年の夏には一ヶ月以上も雨が降り続く異常気象に見舞われました。
かと思えば、翌年には雨がほとんど降らない時期と、梅雨のような長雨の時期が交互に訪れたり、昨年も6月から7月にかけて日照不足と長雨が続き、10月の台風では畑が水没するほどの被害を受けたりと、私たち自身が農業の難しさを肌で感じています。
しかし、近年では、不作に見舞われたとしても、必ずしも野菜が高値で取引されるとは限りません。
むしろ、収穫量が少ないにもかかわらず、価格が思うように上がらない、あるいは低い水準にとどまることも少なくないのです。
では、なぜ農作物の価格は、以前のように天候不順によって大きく変動しにくくなっているのでしょうか?その背景には、いくつかの要因が複雑に絡み合っています。
1)輸入品の存在:価格安定化の裏にある現実
天候が良いか悪いかにかかわらず、野菜の価格が大きく変動せず、比較的低い水準で推移する要因の一つとして、海外からの輸入野菜の存在が挙げられます。
グローバル化が進んだ現代において、多くの野菜は海外からも安定的に供給されるようになり、国内の豊作や不作が、以前ほど価格に直接的な影響を与えにくくなっているのです。
これは裏を返せば、もし海外からの輸入量が減少すれば、国内の農作物の価格は全体的に上昇する傾向にあるとも言えます。
しかし、現状としては、年々海外からの輸入量は増加傾向にあり、今後も野菜の価格が低価格帯で推移する可能性も十分に考えられます。
2)国内の過剰供給:効率化が生み出す歪み
東日本大震災以降、特に大規模な圃場整備や機械化、そして大型の施設園芸などが積極的に導入され、効率的かつ安定的な農作物の生産体制が構築されてきました。
この大量生産体制と、増加する輸入野菜が相まって、市場に作物が過剰に供給されるようになり、結果として価格が低迷している可能性が指摘されています。
記憶に新しいのは、2020年の暖冬です。関東以西の温暖な地域では、大根やキャベツなどの冬野菜が記録的な豊作となり、市場価格が大幅に暴落しました。
ある農家グループのSNS投稿では、2020年1月の取引価格が、キャベツ1箱(5kg)あたり100円や80円といった、信じられないような安値だったと報告されています。
これでは、箱代や種代といった基本的なコストすら回収できないのではないかと、他人事ながら心配になりました。
「余った野菜は寄付すれば?」:善意の裏に潜む複雑な問題
野菜が豊作となり、市場で値がつかずに畑で大量に廃棄されているというニュースが流れると、必ずと言っていいほど「それなら、子ども食堂やフードバンクに寄付すれば良いのではないか」という意見が上がります。
一見すると、食べ物を無駄にせず、困っている人たちの役に立つ、理想的な解決策のように思えます。
もちろん、一部の志ある農家さんは、積極的にそうした活動に取り組んでいらっしゃいます。しかし、私たちMITUを含め、多くの農家にとって、現実的にはそのハードルは決して低くありません。
実際、私たちも様々な団体から子ども食堂やフードバンクへの寄付依頼をいただきますが、その都度、丁重にお断りせざるを得ない状況です。
なぜ、私たちは安易に野菜の寄付を行うことが難しいのでしょうか?その背景には、以下のような理由があります。
1)生産にかかるコストと労力:無償提供の重み
野菜を種から育て、収穫するまでには、種代、肥料代、人件費、燃料費など、様々な経費がかかります。
これらのコストは、野菜が売れようが売れまいが、必ず発生するものです。さらに、経済的な負担だけでなく、私たちは手間暇をかけ、丹精込めて野菜を育てています。
美味しく食べてもらいたいという愛情も、一株一株に込めているのです。
そのようにして大切に育てた野菜を、収穫し、きれいに洗浄し、箱詰めするという作業にも、当然ながら時間と労力(そして梱包資材などの経費)がかかります。
これらの手間とコストをかけて収穫した野菜を、ただ同然で寄付したり、極端な安値で譲渡することには、正直なところ、大きな抵抗を感じてしまいます。
2)善意を踏みにじる人々:一方的な要求と無理解
悲しい現実として、寄付や格安提供を求めてくる人の中には、あたかもそれが当然の権利であるかのように振る舞ったり、私たちの想いや事情を一切理解しようとしない方も少なからず存在します。
「どうせ売れないんでしょ?」「余っているならタダでくれてもいいじゃないか」といった心無い言葉を投げかけられることもあります。
もちろん、そうした一部の心ない人ばかりではありません。豊作であろうが野菜の値段が下がっていようが、適正な価格で 野菜を購入してくださるお客様や、無償で提供した分、他の何か(例えば農作業のお手伝いなど)で感謝の気持ちを示してくれる心優しい方もいらっしゃいます。
そうした方々の存在は、私たちの大きな励みになります。
3)畑への還元という選択:持続可能な農業への視点
場合によっては、市場で値がつかない野菜を無理に収穫・出荷するよりも、畑にそのまま鋤き込んで有機肥料とした方が、次の作付けの際に良質な作物を育てられることがあります。
これは、短期的な損失を避けるだけでなく、長期的な視点で見ると、土壌の健康を維持し、持続可能な農業へと繋がる重要な選択肢なのです。
私たちの気持ちを言葉にするのは難しいのですが、「こうするべきだ」「ああするべきだ」と一方的に指示したいわけではありません。
もちろん、「欲しければ買ってほしい」と声高に言いたいわけでもありません。ただ、私たちが日々、野菜を育て、収穫し、出荷するまでにどのような想いを抱き、どのような状況に置かれているのか、その一端でもご理解いただければ幸いです。
これからの農業のあり方:価格だけではない「食」の価値
今、私たちは農業が大きな転換期を迎えていると感じています。農業従事者の高齢化が進む一方で、新規就農者の数は伸び悩み、農業者全体の数は減少の一途を辿っています。
今後、大規模な圃場整備や大型の施設園芸、機械化はさらに進み、輸入農産物の割合も増加していくと推測されます。
輸入農産物の価格は、海外の異常気象などによって収穫量が不安定になる可能性もあるため、予測は難しい部分もあります。しかし、国内においては、大規模圃場などによる効率化が進んでも、いずれ生産量も頭打ちになる時期が来るのではないでしょうか。
そうなれば、国産の、特に地元の新鮮な野菜が手に入りにくくなる地域や時期も出てくるかもしれません。
これからは、農作物の価格が高いか安いかという短期的な視点だけでなく、「食」というものが私たちの生活においてどのような意味を持ち、どのような価値を持つのか、より深く考えていく必要があるのではないでしょうか。
豊作の陰で廃棄される野菜の現状を知ることは、食料の生産現場における課題を理解する第一歩です。そして、その課題の解決には、生産者だけでなく、消費者一人ひとりの意識の変化と行動が不可欠だと私たちは考えています。